森岡正博

 森岡正博先生の大著「無痛文明論」は、戦後の日本人の目標設定に根元的な誤りがあったことを指摘していた。「危険・抵抗感・手応え・緊張・葛藤を完全に排除した安全・快適・便利さ・安楽さ・計画性・予測可能性が、逆に、人々を苛立たせ、攻撃的にさせ、内向させ、相互破壊から自己破滅志向にまで追い込んでいる。人の自己家畜化は、完璧、極限に近づいており、今までの常識が理解困難な「破滅念慮としか言えない諸事件」を続出させている。人には、安楽安全でない場面・時間が必要だが、それさえも現代文明は、ギャンブル等として自己の装置に取り込んでしまっている。」

 

 森岡氏の指摘は、人の統御が遂に及ぶことがない、自然そのものを子供達に用意する「森・里山保育」の現代性・可能性を示唆している。泥んこ・怪我・喧嘩と子供集団の自律性とがアマルガムになって、発展途上国の子供達の様な子供達が、木更津社会館保育園には生きている。不足・不満を怒りに直結させず、創意工夫・ユーモアに昇華させる子供達がそこにいた。痛みや葛藤・苛立ちの原因を人の悪意に帰することなく、一瞬憮然としつつも「ゴクリ」と呑み込んで、淡然としてやり過ごす雅量・胆力を社会館くじら組の子供達は持っている。

 

 日本で、改善・合理化は、限度を超えて進められて、従業員達を苦しめ、安心感・満足感を蒸発させてしまった。変化はたやすい、安定は困難な課題だ。マンネリはたやすい、変革は困難な問題だ。変化しつつ変化していないように見せる。(マクドナルドハンバーガーの味は半年ごとに変えられている。が外からは分からない。)安定しつつ安定していないように見せる。(ホテルの内装。3年に1度改められるが、客を不安にさせるような変化はしない。)

 

 1人1人の人の欲求自体が、矛盾をはらんでいるのだから、答えもその矛盾に対応していなければならない。ユダヤの101人会議が、全員一致は、自動的に否決と決めていると聞く。不完全な人間達が全員1つの意見になったということは、その意見の不完全性を証明していると彼等は言う。"Bettet is best.Best isNo!."なのだ。山形県酒田市の本間家の家訓に「財産は溢れさせるな。溢れそうになってきたら、世のために使ってしまえ。」があった。「何でも完成させるな。完成しそうになったら、壊してしまえ。」と言ってよいのだろうか。「熟せば腐るのは、自然の法則。」だとしたら、熟させなければよいのだが、人は、永遠の未熟・半熟に耐えられない。身の破滅が予感できても、時には破滅して無一文になって安心したいのだ。

 

 が、これはやはり未成熟な自己中心人間の台詞。大人は小さな破滅の連鎖をシステムに組み込んで、全体を守る。

 社会館保育園が、システムとして泥んこ・怪我・喧嘩と子供集団の自律性とをごちゃごちゃのアマルガムにして、小さな混沌雲をくじら組の全体宇宙に織り込んでいくやり方は、非常に賢い生き方に見えてきた。

 

 「混沌から秩序へ」は、常に変わらぬ社会館の流儀だ。子供達に初めから秩序だった世界を用意しない。先ず未完、先ずゴチャゴチャ、先ず混沌がスタート。それは岩登りの第1歩。与えられたゴミの山を宝の山にするのは、子供達の構想力・構成力・想像力。そこに意識された定石はない。

 

  しかし子供達の目がキラリと光ったら、子供達がごそごそと動き始めたら自ずと道は拓けていく。人は、立ち往生していてはならないのだ。動いてみれば、今まで見えなかった手がかりを見つけられるかも知れない。動きながら考えて、考えながら動く。それが子供達の遊び。20歳の若い保育士達が保育の計画を立てたとしても、子供達の構想力の足元にも及ばないこともあるかも知れない。だから少なくとも、子供達を見くびることなく、その動きの中に、光って見えるものを探し続けることだ。

 

 子供達に何を教え何を任せるか。産湯と一緒に「赤ちゃん」も捨ててしまった。大切に残しておくべきであった「古来の流儀」なども、流し忘れてしまった。そんな戦後日本人達の1人として、うかつにも流してしまったものの中から、救い出すべきものを1つ1つ拾い上げる作業を私はしてきた。未だ忘れ物があるかも知れない。自然だけでない。人生もたぶん汲み尽くされることはない。挫けることなく、諦めることもせずに、希望の光を仰ぎ続けよう。1938(昭和13)年12月1日開園の日から75年。アメリカ軍の戦闘機グラマン達の軍人民間人無差別機銃掃射をくぐり抜けて、社会館の庭に立ち続けてきた、すずかけ(プラタナス)の2本の大樹のように。