子供部屋が子供の自立を促す論

 「子供に専用の部屋を与えることは、子供の自立のために必要です。」

「子供部屋は何よりも勉強部屋であり、テレビやステレオや電話を置くことは、子供の勉強を促進させます。」

 1989(平成1)年女子高校生コンクリート殺人事件は、上記のように、戦後民主教育の理想を追った両親が、我が子のために用意した子供部屋で起きたのであった。1ヶ月以上に渉って監禁され、数人の男子高校生らによって、なぶり者にされる女子高校生の悲鳴、存在に、同居していた両親は、殆ど気付かなかったと後で語った。

 子供部屋が密室化し、子供達は「しつけ」や「遠慮」を学習しないだけでなく、家族の団らんから離脱して、ホテルの一室に滞在するが如く、勝手放題したい放題の居心地の良さに惑溺していった。今や世界で、韓国と日本にしか見られないという「引きこもり」の人たちの何人かは既に40歳台となり、総数は100万人を超えたと聞く。

 1998(平成10)年4月、(財)住宅産業研修財団理事長松田妙子氏は、「家をつくって子を失う」という大著を発刊。「住足りて礼節を失う」子供達の原因の1つが、利己主義製造装置であった日本の子供部屋にあると指摘した。日本の伝統的な子供の部屋の姿から、世界のどこにもない現代日本の子供部屋のあり方(鍵付きのドア・電話テレビ冷蔵庫付きの部屋・玄関から直行できる部屋の配置・父や母など家族との会話不要の生活=子供の自由、勝手、気儘を最大限に発揮させて上げようという世界でもまれなる親心=将来子供を「引きこもり」にするための予行練習)に到るまで、戦前に発する私達の錯覚を松田氏は跡づけている。

 数年前、「成績のよい子たちが、子供部屋で勉強しないで、台所や家人が居る側で勉強している」という本。「勉強机も専用の勉強部屋もないのに成績は抜群という子供達がいる」という月刊誌の特集が連発されたことがあった。そして大手住宅メーカーが、玄関から子供部屋に子供を直行させない住宅、子供部屋の戸が子供を親達から遮断独立させない配慮をウリにする住宅を提案し始めるのだ。ドイツもアメリカもイギリスも子供部屋を密室化させない配慮をしていたことに、私達は気付かなかった。子供部屋の戸にはカギがあってはならないことを知らなかった。

 子供達の「自立心は、孤立状態によって養われる」という実に簡単な錯覚。忍耐や妥協や「葛藤がない方が子供達の自立心は強化される」という錯覚。双方向の「情報交換を遮断することによって、孤独に強い人間になれる」という錯覚。要するに、孤島に流された「ロビンソンクルーソーこそが理想の教育環境にいた」と言わんばかりの錯覚。1つの戦後民主主義の錯覚が終わろうとしている。