子供達は、誰からも束縛されるべきではない論

 「子供達は、自分の好きなものだけを食べていればよい。」という考えは、「人は自分が好きな人たちとだけ会っていればよい。」「人は自分がしたいことだけをしていればよい。」と膨らむ。旧憲法下で、女は、先祖を頂く婚家の後継者を生み育てるために結婚するのが当たり前、結婚相手は親が決める、子供の人生を決めるのも親であったのが、1948(昭和23)年ひっくり返された。あらゆる場面での自己決定が男女ともに許されて、全ては自己責任、自業自得するようになった。親達は子供達の人生に関与せず、期待せず、その結果にも責任は負わない。「自分が正しいと信じたことは、人から何を言われようとその道を行きなさい。」(イギリス人女性殺害事件容疑者市橋達也の母の言葉)とだけ教えて、知らん顔。自己決定の前提となる価値判断、正邪の判断の基準は教えない:価値中立が戦後民主主義教育の優等生の態度。決定の基準を与えられずして下される決定が、自己中心、自分優先、自己本位になるのは、自然の成り行き。神仏を遠ざけられ、先祖からの子孫への切なる思いを知らされずに、生命のほとばしりのみを頼りにすれば、結果は自ずと知れたもの。躊躇なく弱い者をいじめ、人の幸せを蹂躙して平気な、野獣たちの世界が、今、日本のあちこちにに広がっているかのようだ。

 木更津社会館保育園は、昔のようにしつけを優先しない。むしろ、生命のほとばしりを大事にする。子供達の自己感情、自己判断、自己決定を促し自己満足を良しとする。そのおおらかな雰囲気の中で、焼き鳥の串のようにぶすりぶすりと貫き等されていることどもがある。

 ① あいさつ:人と人の繋がり支え合いののキッカケ

 ② 弱い者達・挫けそうになっている仲間達への思いやり、励まし

 ③ 感情の共有・交流・連帯:人の喜び・悲しみ・苦しみがそのまま私のそれ

 ④ 仲間・大人・世界への基本的な信頼感、決して絶望しない責任感・楽天性・自信

 ⑤ いざというときの自己犠牲の覚悟・予感

 社会館の子供達には、このような数本の串が心の底まで差し込まれている。彼等の人生を貫いて変わらないであろう人生の価値判断の基準が、はっきりと示されている。「これは躾でしょう。」と言われれば否定はしないが、「躾以上」を我々は狙っている事はお分かり頂けるだろうか。