木更津こども人形劇場(愛染院不動堂)

愛染院不動堂創設 (祈りの場として)

残された土蔵からのはじまり

 2008(平成20)年12月、愛染院本堂裏手の土地150坪を購入するに際して、旧勢州屋倉庫2棟の内、1棟の元土蔵を愛染院が頂戴した。評価額はわずかに13万円であった。

 左側の2階建ての鉄骨の倉庫1棟が解体撤去されて、後に瓦屋根に壁がトタンで防護された1棟の土蔵が残された。

 1・2階を貫いて立つ欅の通し柱は、大黒柱としても破格の堅牢さに見えた。

 屋根は、この土蔵が、富津の笹塚から木更津の田面通りに移動され、再度現在地に移される間に、二重の屋根の上屋が省略され、壁もトタン葺きにされていた。 

 

 私は、この建物を愛染院不動堂として復元すべきだと気付いた。愛染院本堂には、江戸末期に木更津の町中心部をなめ尽くした大火災で堂宇を焼失、結果として愛染院に統合された三ヶ寺の仏達が祀られている。その中からまず、不動明王にお移り頂くことを発願した。

 

土蔵の復活

 木更津市江川の才平建設社長江野澤定徳氏に土蔵を移設の上で復元して下さるようお願いした。解体工事は社長本人の手によって実行された。

 素人達は、この土蔵が解体移動できるものだとは考えもしなかった。才平建設社長は、棟梁として2人だけの職人を使って、相当苦労はあったらしいが、くだんの建物をきれいに解体してしまった。梁柱の材料は主に欅と松であった。一階から二階へ突き抜けていた通し柱は尺角以上の太さの欅であった。 

 棟梁はまず、移設再建された土蔵の屋根を原型に復してくれた。市内では珍しくなったが、上屋倉(うわやぐら)といって、一旦土壁で完全防火様式に仕上げた上で、化粧と防水のために二重に屋根を載せたものだ。それは花嫁の角隠しのようで、思わず見とれるような美しさであった。

 土蔵には更に、下屋(げや)として、台所の区画と玄関・トイレの区画並びに人形劇場の諸道具を格納するための倉庫が附設された。一階は、天井が構造上低いため、床中央を枡席のようにくぼませた結果、正に一つの劇場空間が現出した。

 手回しオルガンを製作する方が函館にいる。彼は古い家屋が解体されるとその古材をオルガンの材料に貰うのだという。音響が違うという。150年の風雪を経た旧勢州屋土蔵も、その音響の良さが評判となるであろうことが期待される。

 

お不動様がお守りいただく木更津こども人形劇場へ

 かくして愛染院不動堂は、二階にお不動様をお紀りし、そのご加護を頂く祈りの場となり、一階を木更津こども人形劇場として、子供達を囲んで、地域の皆様が集う憩いの場として使って頂くことになった。

 寺は人びとが常に集まり散って行く、町のターミナルであった。そこに行けば何かがあり、何かが起こり、何かが分かる網の目であった。このお堂が市民の祈りと楽しみの場として、活かされ喜ばれる様になることを心から願うものであります。 

 

2009(平成21).12.12 

 愛染院 住職  宮崎栄樹