9歳の節・壁を超えて-10歳 人としての基礎が完成する   

1 子供の(親からの)独立開始

 目の色が変わる。心の裡を顔に出さずに、意図的に嘘をつける。大人が子供の眼を見て、常にはその子の心を読めなくなる。(高浜正伸氏によると)親はウザったい存在になる。「あっち行ってて。一緒に歩かないで。」と子供達は言い出す。男子達は母親からどんどん離れていく。「いけないことはいけない、と、びしっと言い切ってくれる師匠が必要になる。女子達は、5年になったら大人(後輩の女性)として扱われるべきだ。:子供の心が親から離れていく感じ。もはや親の手の平で踊っていたあの子ではなくなった感じ。だからそれまでに、親達は子供達に、家風・品性・善悪判断の基準及び子供達の命の源:先祖の存在を伝え終っていること。

 

2 感情の(親からの)独立開始

(参考「教育」1983.7 p.102「感情は、言語により分化され固定される。言語が、感情を先導するのだ。感情が言語化されるのではない。」)

 

 感情の大枠が完成する。一人前の人間に見える。感情の中身の多様性と、感情表現方法のコントロールが始まる。①喜怒哀楽を基本として、羞恥心・自尊心・慈悲心等日本文化を支えるいくつもの重要な感情を当意即妙に表出できる。②嬉しい・悲しい、怒る・恕(ゆる)す等の対立矛盾する感情の流れをはっきりと意識できる。:感情がその子独自のものとなる。子供の感情が親から独立し始める。だからそれまでの9年間に、母親・祖母・父・祖父達は、子供・孫の前で、素敵な感情表現を演じること。真っ赤な夕日を見ながら母がつぶやいた一言、「綺麗だねえ!」を子供は一生忘れない。「あらあらこの子は可愛いねえ!」と感嘆してくれた祖母の嘆声を孫は生涯の宝にする。「そういうことは許さない。」と決然と言い張った父の強い精神を子供は一生の支えにする。当意即妙の祖父の感情表現を、孫は心深く刻み込む。子供達の前で大人達はあだや油断しないこと。そして時にひょうきんに油断してみせること。

 

3 味覚(食習慣)が完成する。

 9歳までにケチャップ・マヨネーズ・バター・チーズにはまった味覚は、二度と味噌・醤油に戻らない、といったのは1971年7月日本で最初のマクドナルドを銀座三越に出店した藤田田氏。ハンバーガー大好きな子供は、9才までに造り上げられると断定しておられた。「味覚のリハビリは、9才過ぎたら難しい」と千葉幕張メッセの研修会で、1人の栄養士が言っていた。9歳までの食習慣が一生の食習慣を決める、とも言う(「おむすび通信」86号)。

 だから9歳までは、マクドナルドは立ち入り禁止。そして10才。始めて入ったマクドナルドで体験する味は、「まずい!」「おいしくない!」「食べられる物がない!」となる。その子の味覚は、完璧に、本来の日本人のそれになった証拠。その子は、「煮る・蒸す・焼く」の和食(その秘密は「旨味うまみ」。イタリアン・フランス・ドイツ・中華料理のすべてに欠けている日本伝統の味の秘密)が大好き。それこそは「原日本人」の平和で伝統的な姿

 インスタントラーメンも滅多に食べさせないように注意すること。インスタントラーメンは非常食。非常用に味も強くされている。あの味をあなたの子供達の味の標準にしてはならない。大人用に開発されたオロナミンC同様、子供が普段口にすべき物ではない。「非常時の幸せ」を大事に取っておこう。

 

4 匂いの記憶は、6才から10才までがピーク。

 匂い関連の記憶の多くは6~10才の昔に由来している。嗅覚は、過去の体験・感情を納めて封印してある箱を開ける鍵だ。匂いは、視覚や聴覚よりも子供の頃の体験を強く呼び起こす。人は子供時代から、匂いにきちんと曝(さら)され「嗅覚トレーニング」を受けるべきだ。M.コニコバ日経サイエンス2013.9月号

 

 嗅覚トレーニングとは、清潔でお菓子屋さんのような甘い世界・よだれが出そうになるウナギ屋の煙とともに、早春の青草・田舎の香水や鼻が曲がるような悪臭も体験すること。一瞬でよい。「いい匂いだねえ」「臭いねえ」と親子で語り合った記憶を持つこと。臭いに幅があるとすれば、その幅が広いほどよい、と考えてよいだろうか。少なくとも無臭状態で子育てをしないこと。芳香のみで子供を包まないこと。

 驚くべし。花屋の店内。バラや菊など、花々の匂いをなくす努力がされていると木更津市内駅前の花屋さんに聞いた。お客様が匂いを嫌うのだとか。アントニウスを迎える寝室に、厚さ30センチにバラの花びらを敷かせたエジプトの女王クレオパトラが、現代日本の無臭志向を知ったらなんと言うのだろうか。それは「自信(自己信頼)がないのね。」だろうと、私は推測する。

 

5 辛い現実に耐える力を内に秘めた感情ができはじめる。

(参考「喪の途上にて」p.102 「死ぬ瞬間」p.222 )

 死の概念が完成する。親族・ペット等の死に際して本当に悲しんでいる。:事実としての悲劇を受け容れる力を身につけていく。悲しみに耐え、感情を統御する力を育み始める。

 対照的なのは、2年生前後までの孫達。彼等が祖父母の死=通夜等に当たって、実に嬉しそうに振る舞うのは、よく観察されること。事態の深刻さを全く理解していない。親戚のおばさん達に囲まれて嬉しくて仕方がない。幸せな子供達。

 

 2年生の子供達が、イナゴ達をペットボトルに入れて、火に投じて大喜びしている姿(映画DVD「里山の学校」桜映画社刊に活写された。)に、「なんてことをするの。止めなさい!可哀想でしょ。」と反応する大人達がいる。少女時代、蟻やイナゴ・蝉など触ったこともない方々? アリたちを潰したり、トンボの羽をむしったり、蛙のおなかをなでなでして破裂させたりしたことが一度もない方々。実際には悪いたずらをしていたのに、すっかり忘れてしまっている方々。生まれてこの方、自分は悪いことは一度もしていないと信じ込んでいる方々が、子供達の倫理観の基準形成を邪魔立てしている。

 子供達が元々持っている好奇心。その好奇心による他愛のない「攻撃性・残虐性・破壊衝動」が、蟻や蚊やゴキブリ、そしてイナゴや蛙・トンボ・蝉たちに対する悪事の発現・発露によって、(後味の悪さを伴いながら)9歳前後までに消化され、緩和されていくことは、昔から大人達が知っていたことだ。

 

 青年期における残虐犯罪の根は、9才の節を超え損なった少年達の心に、すでに9才以前に作られているという指摘は、原田正文氏らによって発表されて久しい。子供達が元々持っている「他意なく悪をなす可能性」-嘘・盗み・破壊・意地悪・裏切りなどーは、アリやイナゴ・親兄弟・友達・先生方を踏み台にして、何度も恥をかきながら、修正制御されていくのだ。

 

 静岡県出身の1人の男子大学生(20歳前後か?)が、東京の親戚の家で1匹のゴキブリを発見してパニックになったというお話―10年以上前何かの雑誌で見たーは、この国の子供達の野生性が崩壊している実態の一端を示しているに過ぎない。笑って済ませられることではない。彼の母親か父親が息子に対して、1匹の虫にも冷静に対応できない幼児性を固着強化させてきているということか。

 

6 接続詞の用い方が完成する。(参考「文章読本」井上ひさし著 新潮社 p.81)

 自宅付近の鳥瞰図を描ける。自分・世界を客観化できる。自分・世界を客観化する力と接続詞を使いこなす力は、セットになっている。「論理を接続させ、また逆転させ、時に対比させ、時に累加することを予告する」接続詞。

 

7 無口になる(参考「小中学生の発達と教育」p.103・108・178)

 子供は相対的に無口になり、無邪気な発言や振る舞いをしなくなる。

 権威から平等性(内的な普遍的論理的原理)へ判断の基準を移し始める。

  非行少年たちは、因果関係を推論できない。抽象的・論理的思考力の未熟さは、幼児のような自己中心性としてその行動に現れる。検問中の警察官にオートバイで突っ込むことができる。少年らは警察官が逃げると思っている。警察官たちはオートバイは当然止まると思っているから、逃げない。

 

8 感情の揺れ・爆発を抑制でき始める。

 道端で苦しむ野生生物を「助けてあげて!」と言って動物病院に連れてこなくなる。(竹田津実2009.12子供の本棚巻頭エッセイ):野生動物への端的な感情移入をしなくなる。「苦しむ動物を可哀想」と思いつつも、冷静でありうる。

 

 人種による差別的な偏見を変えられなくなる。

(斉藤環2010.4.11毎日新聞朝刊第2面):価値判断の基準を変えられなくなる。客観的な認識力と主観的な偏見が共存し始める。

 

9 願望と現実の区分

 写真のような写実画・立体画を描けるようになる。素描に関心を持てる。:自分の願望・主観とは全く別の客観的な現実を受け容れられる。理科に興味を覚える臨界期(9-10歳)(日本物理教育学界 2007.9.10)

 サンタクロース・あの世・地獄を疑い始める。:事実と願望・虚構の違いに気づく。

(9歳までに戒律としての宗教=殺すな、盗るな、騙すな=に触れることの重要性。)

 科学と信仰・科学と超常現象・創造性と神秘性がいったん分離し始める。分離体験を経て後、科学の先端に至って人は、科学者でありながら、神や仏の存在を受け容れることが出来るようになる。「最先端の科学者たちは、全員が無神論者である」との受け止め方は、敗戦日本の民主教育の素朴な誤解である事は、海外の学会に出席した者が最初にぶち当たる現実。神の存在を前提にして研究を進め、ノーベル賞を受ける方々がいるということ。アメリカ大統領は、牧師の立ち会いの許、神に向かって、「宣誓式=戴冠式」を行っている!「神・仏を信じる者達は愚か者」と思い込むことの危うさに気づく時が来た。  

 

10 空書きができる。(参考「教育の方法」岩波書店 p.117)

 糸・月・口で作れる字は何かと問われて、ひざ上や空中に指で「絹」と書ける。 

 

11 抽象性・普遍性を具体性・個別性より優先させられる。

 抽象的な思考が可能になる。必要により、見えるものを無視し、見えないものに注目できる。重心(その物体の重さの中心という意味とその物体の重さのすべてが集中している一点と見なしてよいという意味がある。)・生物分類(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類=類的な自己再生産つまり赤ちゃんの作り方のみに注目し、羽があるかとか水中に住んでいるかとかを無視するとこの様な分類ができる。)

 記号を実体視せず、記号として操作できるようになる。3αーα=2α・・・「3」?

 ディベートで自己の立場を反対の立場に転換されても、即、逆の発想に耐えられる。3年生には不可能。

 掛け算・割り算を理解できるようになる。5人/組×3組=15人

 時計の針を正確に読めるようになる。:場合によっては、「目に見えないことが見えることよりも重要だ」と判断できる。体験上納得できないことでも、論理的に証明されたことは受け容れられるようになる。人情・常識・法律に従い、公正さ・平等性・自尊心から、自分自身には個人的に損になることでも、受忍できるようになる。

 

 この判断方法は、ディベートや数学や外国語による作文(会話では不十分)などによって鍛錬される思考・論理の一貫性に支えられて、「総論賛成、各論反対」「部分最適優先、全体最適後回し」等の支離滅裂行動を排除してくれる。つまり9歳以降の数学・外国語教育やディベートのレッスンが、9歳の壁・節を踏み越えるために大切であることは明らかだ。

 

 ゲーム・ケータイ(・スマホ)は、9才過ぎ迄触れさせないこと。子供達にケータイを与える前提条件は、「今やるべき事の優先順位を付けられるようになっていること。」計画に従い、衝動を抑えられるようになっていること。古荘純一「日本の子供の自尊感情はなぜ低いのか」光文社新書

 

12  見えないものが見えてしまう。勘がよい。

 図形問題で問われる「補助線」が自然に見えるようになるかどうかは、10歳くらいまでが勝負。「見える力をつけるためには、ドリルをどれだけやるかよりも、体全体を使ってイメージする経験を豊富にすること」だ。そのためには、思いっきり、屋外で遊びこみ、走り回って「ケンカしても仲直りできる力、つらいいことや嫌なことがあっても乗り越える力」「根拠のない自信のようなもの」を9歳までにしっかりと身につけておくべきだ。高濱正伸「伸び続ける子が育つお母さんの習慣」青春出版社

 

 

13 誰かのロボット(将棋の駒)ではない、「将棋の差し手」として生きたいと思う。

 メダカのような従順さに快感を覚える段階から、自己の独自性を求め主張するようになる。

他の人と同じ自分に耐えられなくなる。:自己の独自性を求め始める。双子の兄弟が、おそろいを嫌がり始める。

 権威(親・先生)より道理(論理性)を大切に思うようになる。:自己の独自の判断基準を求め始める。

 親が言うとアウト。4年生以降の子には外部の第三者が必要。良い師匠には素直だ。(高濱正伸「子供に教えてあげたいノートの取り方」P161実務教育出版):親の支配から脱したい。

 親に対して秘密を持てる。「これは秘密だよ。お母さんにも誰にも言ってはいけないよ。」と姉に言われた妹が「お母さんこれは秘密だよ。『お母さんにも誰にも言ってはいけないんだよ』っておねえちゃんが言ってたよ。」と言ってしまうのが1・2年生。:4年以上は親の支配から脱したいと願い始める。秘密を持つことは、親から独立する人生の第1歩となる。

 

14 身体の中での大脳・論理の独立性を生き始める。

 情緒や感情に根ざした外言(口頭表現)の外に、内省を経た論理的な内言・思考(書き言葉になる。)が可能になる。:口で何かを語りながら、同時に先のことを考えられるようになる。意識的統合的な書き言葉を使うようになる。:繰り返しや矛盾がない明快な論理性を持った文章を作れる。(桜井邦朋「日本語は本当に非論理的か」P13/32祥伝社)

 

15 空間認識の臨界期

 8歳が小脳(空間認識と運動制御)の発達臨界期。生活体験と外遊びが有効。ナイフ・ヒモ結び・穴掘り・スキップ・でんぐり返し・木登り・斜面凸凹遊び・異年齢集団体験等ひたすら仲間と遊ぶこと。4~8歳の男子は大人男性から男性特有の空間認識の方法を学ぶべきだ。黒川伊保子

 「空間認識力をつけるには、外遊びこそ最高です。」「何もない野原や河原で遊べるのが本当の遊びです。」「子供達だけで、異年齢で外遊びができれば、一番理想的です。」高濱正伸「伸び続ける子が育つお母さんの習慣」青春出版社

 

16 興奮集中・抑止制御の基本が完成

 正木健雄先生は10歳くらいまでに遊びなど(折り紙・かくれんぼ・虫取り・分解・読書・喧嘩など)(逆にゲーム・ビデオ・テレビは子供たちを受動的な指示待ち人間にする。)を通して、食いついたら離れないくらいの集中と興奮を持続させる熱中体験が、大脳の発達を促すという。

 興奮と抑止という背反する力がともに十分に発達していない子供は、抑止の力が未発達と言える。重要なのは、熱中体験を通して、脳の興奮を持続させる機能が先に発達させられてのちに、抑止力がついてくるということ。

 抑止の力を最初につけることは不可能だということ。それは抑止力ではなく無力感の学習だということ。興奮を抑える学習は可能だが、抑止=無力感を有能感・興奮に移行させるのは、困難だということ。

 いったん興奮すると抑えが利かない、ちょっとしたことで切れてしまう、泣き始めると泣きやめないなどの制御困難状態は、10歳くらいまでに一心不乱に遊び、食いついたら離れない集中力を発揮し、運動神経と感覚神経をとことん研ぎ澄ませる毎日を送る子供たちにはあり得ない。

 脳が持つべき抑止力を引き出すには、熱中して遊ぶ体験が大切だ、と正木先生は言われる。先生は2015.7.19逝去。85歳。40年に及ぶご指導に感謝。

 

17 人生判断の基準・人生の原風景を持ち始める。

 日本人に特有の「虫の音に耳を澄ませ、虫の音を騒音と思わない」右脳。否、左脳(日本語を母語とする人達は、本来言語脳である左脳で虫の鳴き声等の音を聞き分ける。)が完成する。:これは日本人の感受性の根っこにある才能である。外国語教育開始の前提条件となる。

 文科省が英語教育を5年生から本格化させているのは、適切な決定だ。日本人としての文化的精神的な独自性・自己同一性の基礎があなたの子供の心にできるまで、本気で外国文化(虫の鳴き声をバグ=雑音としか聞けない。)を注入してはいけない。

 8歳にして英語をすらすらと話し、英文を読み解く日本人の子供を羨ましがってはいけない。彼が一生に渡って、日本人になりきれない自分をもてあまし続ける苦しみを、哀れみ同情するのみだ。更に、小・中・高とアメリカに送って帰ってきた息子が、アメリカ語は堪能だが、全く日本語を受け付けない人になってしまっていた。彼はもう日本人ではない。通訳を介する「親子の会話」。その親の当惑は絶望的だ。何のための外国語学習だったのか。親たちはその子供をアメリカ人にしたかったのか。否!日本語とアメリカ語学習の開始時期を間違えた。何でも早ければよいと、勘違いしたのだ。

 

18 時系列に添って物事を羅列する文章の段階から、一つの結論を目指し、全体の構成を考えて物語を作れるようになる。読書感想文を書けるようになる。常に自分の評価の基準を意識できている。我が人生を貫き、最終ステージを支える原風景をイメージできている。

 

19 無意識レベルでの自己イメージ(積極的:消極的・朗らか:沈鬱・楽観的:悲観的等の基本姿勢と共に何を好ましく思い思わないかの判断基準・感受性)の源像=原点ができあがる。子供が無意識のうちに選ぶ母・父・祖父母などのイメージが意識の底深くに引き継がれていく。その自己イメージは思春期・青年期の新たな体験によって試され、揺さぶられた結果、大変化・大逆転を遂げることがあるが、9才以前の通奏低音は消えない。選択するのにも変化し時に逆転するのにも、一貫して彼の判断を支える軸足が必要だからだ。

 

20 世間を信じ、世間と共に生き、世間から信頼される人になる。

 「自分は生まれてきて善かったのだ。」と確信できる。(参照・大阪府県警本部刊「少年補導」1983年)

 自己肯定感=頼の完成。家族・縁者・先祖を受け容れる。家族・先祖への感謝・献身等の責任感の原点が完成。だから、この日が来るまで、母・祖母達は、折に触れて、「おまえが生まれてくれて嬉しいよ。」とささやき続けるのだ。この様な「くさい」「余りに素朴な」「時代がかった」「19世紀文学のような」言語表現を、真っ正面から素直に心の底まですうっと受け容れられるのが、9歳までの子供達の心なのだ。

 このあと20年間の試行錯誤の日々のあと30歳台になって、人は「自分は世間・家族に貢献できる人間かも知れない」と思えるようになる。その原点が9歳。祖父母からの期待・感謝を聞かされていた9歳。

 

 

9歳の節・壁―小脳刈り込み終了。

(12歳大脳=前頭葉刈込完成。)

 

1 幼児から学童になるとき。昔の教員は「2年生までは幼児」と言っていた。

2 聾学校の教員達は、昔から「9歳の壁がある」と言ってきた。

(東京教育大学付属聾学校 萩原朝五郎氏)

3 昭和46年(1971年)度の教科書使用開始から、「3・4年生の脱落者が激増」し始めた。

 

4 昭和60年(1985年)頃、高垣忠一郎(当時)大阪電機大学教授(現立命館大学)が、少年院に入ってくる少年達の知的なレベルが、小学校3年生程度で止まっているとの論文「現代非行の特質と学力問題」(「現代と思想」56卷)を発表した。

曰く、貧困等の物質的な劣悪環境が、直接に少年達を犯罪に赴かせるのではない。環境の劣悪さが、少年達の養育をになう親達の敗北感・無力感・世間に対する敵意と相俟って、少年達の「知情意」の成長を9歳以前にとどめてしまい、更には「自分は生まれてこない方が良かったのだ」という自己否定・自己放棄・絶望感を子供達の胸中に胚胎させてしまった結果が、少年非行という悲劇だ。(少年院の教官としての体験から、高垣論文は生まれた。)

 

5 昭和60年(1985年)頃、「成熟拒否―大人になれない青年達」山田和夫著 新曜社刊

「思春期挫折症候群」稲村博著 新曜社刊が相次いで出版され、少年達の惨憺たる内面が、絵に描いたように解明された。

これらの文献が、木更津社会館保育園の保育設計に重大な影響を与えた。

 

6 平成14年(2002年)子育て支援事業のバイブル

「子育て支援とNPO」原田正文著 朱鷺書房刊。

 1997年神戸14歳の中学生による殺人事件1998年栃木県黒磯の中学生による妊婦教諭殺人事件2001年大阪教育大付属池田小学校の殺人事件等を承けて、「彼等の犯行の原因は、遙か以前10歳までに出来上がっていた。突然事件を起こす『いい子たち』は、3歳頃から『素』で生きることを知らず、『いい子のお面』を被り、『いい子』を演じていたに過ぎない。」と記す。

 1993年には自らまとめた「大阪レポート」を承けて、「育児不安を超えて」朱鷺書房刊で、自らの精神科外来に集まる思春期の子供達の問題の淵源を、9歳以前の幼児期、「自発性」と「良心」の涵養の失敗にあったと書いている。      

 

7 「10歳までに『朝のトイレ』を習慣にする」という家があるらしい。

 平成23年(2011年)5月23日電話で宮崎栄樹は、日体大の正木健雄先生から「自律神経系は18歳で大体完成していた。それが今非常に危うい。」と伺った。

 平成16年(2004年)「人体常在菌のはなし」青木皐著 集英社新書P78に「10歳までの教育の内、最も大事なことの1つが排泄」とあり、感性研究で有名な黒川伊保子先生の「子どもの脳の成長と排泄の関わり」なるインターネットの文章中に「(学校の先生には悪いけれど、)遅刻よりも朝ごはんとトイレが大事」という黒川家家訓が記されていた。

 自律神経系の2つの柱の1つ「副交感神経は、栄養素を吸収する大腸内にいる100兆個の大腸菌等腸内細菌の活躍に支えられている」というのは、順天堂大学小林弘幸先生。

 文部省が勧める「早寝・早起き・朝ごはん」は、「トイレ」を外しているが正確には「早寝・早起き・朝飯・朝便」のことであった。情緒の安定・集中力・根気・理解力は自律神経系のバランスあってのことなのだから。

 

8  免疫寛容(免疫力が高まれば、虫刺されの害を受けても身体は、寛容をもって反応できる。)「虫刺されやかぶれ」は強めのステロイドで、早めに直すべし。市販の虫よけ剤のDEET"は毎日の使用が厚労省によって禁じられていると今井博之先生は言われる。

 「小学校4年生(9才)以上になると、蚊に刺されても、直後はプクッとはれて、かゆいものの、翌日にはましになり、大人と同様の反応に落ち着いていきます。」「蚊に対するアレルギー反応は、子供の時期にたくさん経験しておかないと、後でツケを払うことになります。」「何万回も刺され続けていくうちに免疫寛容が成立し、加齢とともに反応が鈍くなってゆくのです。」漆職人と同じ。今井博之先生。『小さい仲間』2013.9月号48頁。

 

2017.7.8

 

以上 1983(昭和58)年11月21日からの蓄積です。まだ増えます。私が生きている間は。

                                                                    

宮 崎 栄 樹